宇多田ヒカルの歌詞観。
最近、音楽と言えば嵐ばかり聴いていた気がするのですが、ふと宇多田ヒカル熱が蘇って、『Deep River』と『Fantome』を再聴しました。
(原因はひょっとしたら、情熱大陸で観たリナ・サワヤマのせいかも。)
この人の歌詞は、言葉の選び方や並びが独特に感じて、気づけばメロディーそっちのけで追いかけてしまいます。
特に、Fantomeに収録されている『桜流し』はなんとも言えません。
以前、ミュージックステーションでタモリさんと行った対談か何かで、「創作の過程で、歌詞は最後です。音に当てはめていくだけなので、意味はそんなにないです」といった話しをしていたのが印象的です(記憶違いだったらゴメンなさい)。
だとすれば、、「宇多田ヒカル2」みたいな人格があって、言葉を降ろしてきているような気がしてなりません。
最後に。
『桜流し』を聴いていたら、どうにもエヴァンゲリオンについて体系立てて学びたい気持ちがフツフツと湧いてきました。
中高時代に国語を師事した先生が、そちらの方面に明るいので、特別レクチャーをお願いしてみようかと思います。