悪と闇。
昨晩、ふとしたことから、村上春樹の小説を思い出しました。特に、『羊をめぐる冒険』辺りから一貫して書き続けている、善悪について。
「絶対的な悪」の存在を前提として、脆く儚い存在である個人はそうしたものに対抗し得るのか?
もし理解が間違っていなければ、村上春樹という人は、その可能性を提示することについて、孤高の戦いを続けている人に映ります。
一方で、人間は誰しもが自分の中に「闇」を抱えているものです。それは、漠然とした恐怖心であったり、愛に対する飢えであったり。根深い場合には、その行き着く先には死が待っている場合もあり得ます。
難しいのは、そうした「闇」について、当事者が後ろめたさや罪悪感を抱いた瞬間、そこに「悪」が忍び寄る余地が生み出される、ということです。
「闇落ち」という言葉は、なかなか言い得て妙なのかもしれません。
すみません、今回は少し(だいぶ?)感じたままを綴る日記になってしまいました。このテーマについては、これからも取り上げる気がしていますので、その時にはもう少し噛み砕いて書きたいと思います。