p s u k e の 俯 瞰 慧 眼

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北海道レポート後編

5月の半ばに、2泊3日で北海道へ行く機会がありました。

前回の記事では初日に滞在した小樽市の様子をレポートしましたが、後編に当たる今回は、2日目と3日目に滞在した「札幌市」について書き綴りたいと思います。

札幌駅の外観

札幌駅

村上春樹の『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』の舞台にもなっていることで、なんとなくポジティブな期待がありましたが、果たして。

札幌市が中核都市に成り得た理由

札幌市の現在の人口は約195万人で、北海道最大の都市になっています。

他方、小樽市で乗った運河クルーズのガイド(札幌市出身)によれば、明治初期、札幌市の人口は僅か「8人」だったそうです。

そこで真っ先に浮かんだのが、「なぜ150年ほどで、そんなに発達したのか?」という疑問でした。

古今東西、都市が発達する条件は幾つかあると思います、たとえば、近くに水源があること。あるいは、まとまった平野があること。北海道の場合、全土に渡って広大な平野が広がっているわけで、なぜ札幌が選ばれたのか?が特に気になりました。

そこで少し調べてみると、2015年のブラタモリで詳しく解説がされていたことが分かりました。

まず地質として、現在も特に栄えている札幌駅南側の市内中心部は「扇状地」で、元より地盤が丈夫だったようです。加えて、湿地であった駅の北側についても、農業排水の技術が導入されたことで、農地として安全に活用されるようになった模様です。

加えて、当時の行政府による指導があったことも窺えますが、札幌以北に比べて気候条件がギリギリ「暮らしやすい」と感じられるそれであったことなど、幾つもの要素が重なっての結果なのだろうとの理解ができました。

現状と、滞在して見えた課題

たしかに「点」として面白いものや魅力的な場所はありました。しかし、街全体

を1つのコンテンツとして見たときには、それほど強さを感じなかったというのが本音です。

そして課題の根っこには、街としての歴史の短さがあるように思いました。

先に書いた通り、札幌市が現在のように発展したキッカケは明治時代にありますが、開拓から150年「しか」経っていないことが、必然的に深みの限界を決めてしまっているという物足りなさを終始抱きながらの滞在になりました。

すごく偏った見方かもしれませんが、観光名所の1つである赤れんが庁舎が「アメリカ風ネオバロック様式」を謳っていたのが、非常に象徴的に感じられました。

赤れんが庁舎

赤れんが庁舎

将来について感じたこと

普段東京に住んでいると、少子高齢化や「日本の衰退」を肌で実感する機会は正直あまり多くない、そのように感じています。世界的に見れば、東京は「地方都市」の規模感になりますが、それでも再開発が続き、なんとなく「このまま数十年先も栄えていそう」という気になります。

そんな中で、今回の札幌滞在は、日本国内で安穏と日常を送ることに対して、少なからず「危機感」ももたらす経験になりました。

東京都23区や横浜市大阪市名古屋市についで国内5位の人口を誇り、政令指定都市に指定されている街でも、短期間の滞在にも関わらず、その先行きに対する漠然とした不安感が募るのは割とショックでした。。

少なくとも自分の次の世代では、語学力や経済力を理由に「日本国内に留まるしか選択肢のない人」と、「日本での生活も選べるけれど、もし希望があれば他の国でも生きられる人」の間で、格差が生まれる。大げさかもしれませんが、そうした可能性を、肌感覚として認めざるを得ないと思わされた札幌滞在でした。

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