観-隠された「正解」の見つけ方
溢れる情報の濁流の中で、拠って立つ場所を探し求める誰かへ。
[言葉]
[メッセージ]
公共交通機関のアナウンス。
あらゆる店で鳴り渡る音楽。
そして、人々の話し声。
ノイズからの解放を願って思わずイヤホンで耳を塞げば、その先にも、また音。
現代の都市における生活の一面を切り取れば、その様相は、さながら音の洪水に晒されているかのよう。
そうした日々も悪くはないと思う一方で、たまには静けさが恋しくなるのが人の性。
そこで、たとえば人通りも疎ら(まばら)な夜明け前の通りを歩いてみる。すると、始発電車が鉄橋を渡る音が聞こえてくる。あるいは、都会の喧騒を離れてみれば、鳥のさえずりや草花が風に揺れる音が聞こえる。
そして何にも増して存在感を放つのが、内的なモノローグ。普段は気づかない、あるいは聞こえないふりをしている自分の内なる声が、否応なしに存在感を放つ。そこには不思議と、日常の中で思い悩む事柄、ほぼ全てに対しての「正解」が隠されている。
何かに迷ったら、雑踏の中で苦悶するよりも、まずは静寂の中で聞こえる音に耳を澄ませてみる。音に溢れる現代だからこその処世術。
[誕生秘話]
生まれつき、耳が良いようです。聴力検査的にというより、比喩的に。それで、定期的に「耳を休ませる」習慣がつきました。騒がしく感じる場所から距離を置いたり、つい惰性で手に取るイヤホンを手放してみたり。
加えて、「ヴィパッサナー」という瞑想に取り組んでみた際に、頭の中で絶え間なく続く、他愛ないお喋りと折り合いをつける感覚を味わうことができました。
いずれの場合も、自然と呼吸が整い、気持ちが穏やかになるのを実感します。日常、どれだけ「論理」を積み上げても解消しなかったことに対して、直観的に正しいと思える答えが得られるのは、大抵そんな時です。
そこで、自身の中で起きていることを研ぎ澄ませていった結果出てきたのが、今回の言葉です。
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