p s u k e の 俯 瞰 慧 眼

溢れ出る言葉の記録として書き綴っているブログ。まずは何より自分のため、でも誰かの何かに響けば尚倖。

東日本大震災から8年-想うことと決めたこと-

2019年3月11日。

発生から8年の歳月が過ぎた東日本大震災について、折に触れて思いを馳せながら過ごす1日でした。

 

不謹慎を覚悟で綴ると、3・11に対しては、何か特別な想いがあります。

ひょっとするとそれは、当事者意識がもたらす感情なのかもしれません。

2011年同日の14時過ぎ、六本木にある某ビルの上層階で働いていた時に、ふいに激しい揺れに襲われ、自分の力で立っていられなかった当時のことを、今でも鮮明な感覚として覚えています。

その後、青山霊園宮益坂を経て、今は亡き母が働く渋谷の百貨店まで徒歩で移動して合流し、その足で自宅までの道のりを2時間ほど歩いた記憶も、未だに自身の中で大きなものです。

 

その一方で、これほど心に訴えかける事柄に対して、どこか一歩引いた場所から見ていたことに、この文章を書きながら気づかされました。

 

一例を挙げます。

少し前の『ワールドビジネスサテライト』で、宮城県石巻市でシェアハウスやゲストハウスの運営を手掛ける会社さんの取り組みが紹介されていました。

その特集を観て、自然と応援したい気持ちが芽生えました。

一方で、「やっぱり儲からないのかな?」、「そもそも、過去に何度も津波に襲われた場所に人を呼び寄せることが、本当に善いことなのか?」といった理性と左脳の声が、それ以上に大きく響きました。

今回も記事も、そうした活動に対して「?」を提示するつもりで書き始めました。

 

しかし、そうした「正論」から卒業して、思いと行動が直結する選択ができるステージまでは、ようやく到達したのかもしれません。

自身の偽らざる気持ちを打ち込んでいく中で、自然と腹落ちする結論が得られました。

 

随分と遠回りした感は否めませんが、遠からず、「被災地」に足を運んでみることに決めました。

 

そこで何が起こり、何を思うかは、現時点でそれこそ「?」ですが、また続編を書きたくなったら、キーボードに向かいたいと思います。